からんからん 見えぬものは見えぬものでいい。 そのほうが幸せだ。 見ようとすればするほど、つけ込まれるものだから そういうものは、怖いんだよ。 自我がないから。 自我があるものならば、御帰り願えるのだけど 風や雲のように自我がないものには、言葉が通じない。 見てみぬふりをするのが一番いいんだよ。 仮令、何があっても 「産須那の神を捨てましたか」 「照子様」 髪を結い上げたちいさな顔が、険しく顰められた。 小桜照子、しきるの母は撫子色の色無地を着込み、後ろに下がっている松太郎を見据える。 「申し訳ありません。照子様、喜代治の失態は俺の失態。どんな罰をも受け入れる次第です」 目尻に僅か皺が残る照子の後ろに座っているしきるの膝が知らず知らず浮く。 そんなことはさせない。 そうは思うが 「…お母様、…松太郎は、…」 「存じています。この一件は全て、喜代治殿の責任。松太郎さんが罪を負うべきではない」 小桜の家の狂女と呼ばれる照子の様子は、冷静と云わずにはいられぬ。 「喜代治殿は見つかったのですか」 「いえ。兄が探しているのですが、一向に」 「左様ですか。小桜の家も、喜代治殿の失態は遺憾に思っております。ですがそれで松太郎さんが罪に問われることはないでしょう」 「は…」 畳に手をつく松太郎を、慈愛を込めた視線で見据え、赤く塗られたくちびるが再び開く。 「手をお挙げ。何がなくとも、しきるの嫁ぎ先ですもの。手を下げる必要はありませんよ」 「・・・」 しきるの顔がそっと下がった。 嫁ぎ先は、産須那神社と決まっている。 妹であった、ゆゐが松太郎に嫁ぐと生まれた日から決まっていたように。 ゆゐが死に、ゆゐの代わりにしきるを嫁がせると そう決めたのはこの狂女だ。 実際、小桜の家から産須那神社に嫁ぐ人間は、過去数人いる。 松太郎の実母、薫子は違うが この町には御神木がひとつしかない。それは他によくないものを流す場所がないと言う事で よいものもわるいものも引き寄せてしまうが故、定期的にはるか昔、小桜の家から猫田の家に嫁げば清められる、と神下りしてきた神がそう云ったという。 今ではそのような古いしきたりなど風化したようなものだが 近年、災いが多い。 その所為だ。照子がしきるを猫田の家に嫁がせようとしているのは。 謂わば人身御供、 唯の人柱だ。 松太郎の左目が知らず知らず、細められる。 「小桜の家も、喜代治殿の捜索に手を貸しましょう。よいですね。松太郎さん、しきる」 「は、…ありがとう存じます」 「宜しい。それでは、わたくしは手配をしますのでこれで。松太郎さん、ごゆっくり」 「…はい」 衣擦れと共に照子が音も無く大座敷を出てゆく。 足音が聞こえなくなった頃、そっとしきるが息を吐いた。 ほんとうに狂っている人間は、照子のような人間だ。 「…清太郎さん、まだ見つからないんだな」 「兄さんは大丈夫だよ。きっと」 喜代治を追った清太郎は、喜代治共々消えてしまっている。 松太郎が幾ら辿っても、追いつけない。 まるで忽然と消えてしまったかのように。 「だけど、覚悟はしてる」 「松、」 「溜まりに溜まったものは、どこにも行けない。神の御業でもない限りね」 肩を竦めて、松太郎は笑う。 祈ることはするが、助けを求めることはしない。 神には。 神は祟るのだ。それに神は見返りを求める。 仏とは違う。 生憎この産須那町には寺がない。 墓地はあるが寺はないのだ。 山の近くに大きな墓地があるだけで、盆の季節になれば隣町から和尚がやってくる。 ご苦労なことだと思うが ここは「そういう」町だということ、 仕方があるまい。 「…うん」 「信じることしか出来ないさ。覚悟を持ってね。…じゃあ俺、帰るから。またな」 しきるの目には、白い巨大なものが見える。 なまえを「白さん」と決めたそれは、松太郎の動きに合わせてのそりと動いた。 白さんは、よくよく見れば可愛いもので 巨体に似合わず甘えたらしい。 言葉はないが、じっとこちらを見つめてまるで巨大な猫のように松太郎に擦り寄ってくる。 「分かった分かった。行こう、白さん。じゃあな」 片手を上げて送ったが、 白さんの体が僅かに小さくなったような気がしたのだ。 2メートルはある体が、僅か5センチ程縮んだような気がする。 だが5センチ足らずだ。 見間違いかもしれない。 「・・・」 ふいと視線を逸らし、窮屈な小袖の帯をそっと撫ぜた。 「しきる」 芙美の声が聞こえる。 風紀委員とは此れほどまでに暇なのだろうか。 鬱陶しそうにしきるはブレザーのタイを緩めた。 「…なんだよ」 「産須那神社の神主さんと息子さん、行方不明なんでしょう」 「・・・」 大々的には捜索していないというのに、何故知っているのかと言えば、旧家だからだろう。 旧家は旧家で網が張られていると同意だ。 何もおかしいことなど何もない。 「それが」 「だから云ったでしょう、呪い屋だって。だから、ほんとうにやめなよ、…産須那神社に係わるの」 「…だからおまえには関係ないだろ」 携帯を見下ろして、息を吐く。 松太郎からのメールはない。 だが昨日、電話で明日から学校に行くと云っていた。 違う事を考えても、芙美の声は強制的に耳に届く。 「おれは、産須那神社に係わっているわけじゃない。松に係わっているだけだ。だから関係ないんだよ」 遠くで声が聞こえる。 芙美、そしてしきるを好奇の眼で見、嘲笑う声が。 「…よくやるよねえ、二条さん。小桜君、あんなにシカトしたりキツい言葉使ってんのに」 「ほんとほんと。っていうか、うざいんだよね。毎日毎日あんなに喧喧してたら」 「周りの迷惑考えてほしいよねー」 嘲笑には慣れている。 それを無視するのにも慣れている。 「・・・」 |