花が咲いていたから



――だからだよ。
そろそろ、限界なんじゃないのかなあ

ぼそぼそと何かが話している。
障子の向こうがわ
影だけがある。
ぶつぶつと何かを話しているが
台風の風で何も聞こえないと思っていたのだけど、どうやらずいぶんよく通る声らしい。

――そろそろだよ。
そろそろ――

「・・・」

まるで子供のように泣いた。無様だったと思う。

「…煩いな…」

風が煩いわけではない
台風のせいもあって、松太郎の家に泊めてもらうことになったが
ここは神社だ、さまざまなものがいることは知っている。
ぱたっ、
畳にまだ乾かないままの髪の毛からしずくが落ちた。

――そろそろじゃないかな。

耳を貸してはいけない。
耳を覆っても、あれらの声は聞こえるだろうから無駄な事はしない。
別の事を考えようとしても、目の熱、そして僅かな痛みであまり考えられぬ

「…どうせ、でたらめを言っているんだ」

口に出して、拒絶する。

「――しきる君」

障子の向こうではない、襖の向こうの声
清太郎の声だった。
ずいぶん、消沈しているような声色で
それでも直ぐに襖を開ける。
着流しを着た姿が、そこに在った。

「清太郎さん」
「悪かったね、挨拶が遅れて」
「あ、いえ。…どうしたんですか」

ずいぶん、疲れているように見える。それに、清太郎のうしろ
なにか、どす黒いものがおぶさっているようにも見えた。
一目見て、ぞっと背筋を寒気が駆け上がってゆく。

「ああ、…見えるんだね。君には。…松太郎にも言われたけど」

――なにをつれてきたんだ、にいさん。

疲れきった顔で笑い、うしろを振り向くが彼には見えていないのだろう。

「呪い屋」

彼が呟く。
座ったままの膝を手で掴み、辛そうに俯いた。

「…噂は、ほんとうだったんですか」
「俺には、何の力もない。見える力もない。だからこそ、…」
「喜代治さんの言いなりになった?」
「…松太郎にも言われたよ。三日前に。感づいていたみたいだ」
「喜代治さんは、一体何を…」

彼は助けを求めてきたようには見えない。
その黒い影は、別段命をとるようなものではないが
放っておけば何をするか分からぬ

「…松太郎の目のことは聞いたね」
「・・・」
「俺は、あの事故は事故ではないと確信している」
「え、」

確かに、不明瞭な事が多すぎる。
切れ目の目玉が、こちらをすっと見据えた。
確信づいた、真っ直ぐな目が

「――あの時死ぬはずだったのは、松太郎だった」
「、…それは…」
「松太郎自身も分かっているんだろう。君に言わずとも」
「薫子様は、…何故」
「庇ったからだよ。松太郎を。…もう分かっただろう。松太郎を殺そうとした張本人が」

それは必然的に、喜代治になるはずだ。
他に誰もいない。
松太郎をそこまでにくむ人物は
そこまで松太郎は交友関係は広くないのだと分かっている。
仮令
仮令、今日のように罵られようとも、殺したいほどにくむまでにはならぬだろう。
みな、恐れている。産須那神社の人間を。

「云わないでくれないか。松太郎に」
「どうしておれに」
「どうしてかな。もしかすると、楽になりたかったのかもしれない。この罪悪感から」

短い黒髪がゆれて、疲れたように肩を竦めた。
自嘲的な笑みを浮かべているが、

――松は、気付いている。

そんな事。
殺したいほどにくまれているということを。
だが、確信はない。

「決して言い訳をするつもりはないが、呪い屋は喜代治がやっている事だ。分かるか、この神社を取り巻くものを。黒く、湿った陰。重い風の音を。確実に、この神社は蝕まれ始めている」
「…どういう、ことでしょう」
「…もう、もたない。父の暴走はもう、止まらない。父は狂ってしまった。母を、薫子をこの世に連れ戻そうと」
「ヨモツヒラサカを再現するとでも」
「はは、…そうかもしれないな。だが、それは所詮神々だからできることだ。人間にはそれ相応の身分と言うものがある」

死んだ人間を元に戻そうとする事など、森羅万象であってはならないことだ。
人間にはそんな力などない。
それは何よりも、宮司である猫田喜代治が一番分かっていなければならぬこと。

「――…松太郎を殺そうとした父が、父のせいで死んだ母を蘇らせようとするなど、とんだ皮肉だよ」
「…おれは…」
「悪かったね、しきる君。こんな話をして。君にこの事を話したのは、君なら松太郎の力になってくれるかもしれないと思ってしまったからなんだ」

――おまえのちからになりたい

そう強くおもっている。
思っているのに、届かない。
如何して

「…諦めさせない、と」

そう、思いたいのに
松太郎は、すべてを知っているようにも思う。
心のうちがわ
それをみせてはくれない。
如何して
なぜ、
喜代治という人間は、そこまで、松太郎という実の息子を殺したいほどににくめたのだろう。