綾結んで花となる



「あ…っ…」

僅か怯えたような声を出したのは、芙美だった。
目の前にいるのは松太郎、白い髪の毛が乱れている。
鉄紺の着流しは、いつも着ているもので
日本人の肌によく似合っていた。

「…松、」
「あ、あなたが産須那神社の、」

乱れた白い髪の毛を手櫛で乱暴に梳くって、左目で芙美を見据える。
びくりと芙美の細い肩がふるえて、松太郎はそれを不思議そうに頸を傾けた。
まるでこの世のものではないものを見るかのような、怯えた目

「うん、そうだけど。神社に何か用事?」
「じ、神社になんて…っ!そ、それより、しきるをどうするつもり!?」
「は?芙美、何言ってんだ」

怯えた犬がそれでも吼えるように、芙美が睨む。
がくがくと膝がふるえ、通学鞄を胸に抱いて、叫ぶ。

「し、しきるをかどわかして、どうするつもりって云ってるの!」
「おい、芙美」
「しきるは黙ってて!中学校のころは、しきるはもっとちゃんとしてたわ!で、でも3年前からおかしくなった!授業中に携帯電話を弄るようになった!あ、あなたの隣にいっつもいるようになった!産須那の神を祀るくらいだもの、何かたくらみでもあるんでしょう!」
「いい加減に、」

いい加減にしろ。
そう叫ぼうとしたが、芙美の足が一歩大きく歩み、身長差があるというのに胸倉でも掴もうかとする勢いで近づく。

「――しきるは親友だよ」

左目の、虹彩
黒茶けた、すこしだけ日に焼けた色
それが、まっすぐに言い放った。

「・・・」

かすかな胸の痛みを遠ざけるように、松太郎はなおも呟く。

「初めて出来た親友だ。その親友を、おかしくさせる利点はどこにある?」

ぎくりと肩を再びふるわせ、芙美は「わからないわ」と頸を激しく振った。

「あなたはもう人間じゃないのかもしれない!産須那神社、周りからなんて云われてるか知ってる!?」
「やめろ、芙美!!」

感情的に成っている。
それでも松太郎は、静かにそれを見守ろうと
左目を静かに細めた。

「この、呪い屋…っ!」

呪い屋。人間を呪って金をもらう。
神を祀るとは正反対の、
異形の事実

「確かに、そんなふうに云われているね。最近は」

云い慣れた、とそう呟く。

「日本の起源は呪術的なものが多い。卑弥呼だってそうだ」
「言い訳なんて聞きたくないわ!わたしが聞いているのは、どうしてしきるの周りをうろうろしているのっていうこと!」
「…言い訳か。確かに、言い訳に聞こえるかもね」

左目が細められて、まるで笑ったようなかたちになったが、しきる自身としてはひどく悲哀を押し殺しているように見えた。

「きみの名前、フミさん、と言ったね。…名前をつけるということ自体、文明が出来てから数千年、脈々と呪術的に行われてきた立派な呪いだ」
「!!」
「松、」
「勿論、しきるも俺の名もね。日本は呪術に寄り添って生きている。それでも、呪術でヒトを不幸にしたり、死に至らしめたりすると言うことは決して許されない行為だ」

ざり
下駄が、コンクリートを踏む。
芙美の足が一歩、下がった。

「そういう謂れができてしまったということは、こちらのミス。それは自業自得で、どうにかするしかない」

ざり
一歩、松太郎の足が下がる。
そうして、すらりと博多帯をたゆらせながらきびすを返した。
完全な敗北、
芙美の
立ちすくむ芙美を横目で見て、歩き始めている松太郎に走りよる。
数センチ背が高い松太郎の表情は、横髪で分からなかった。


今日の境内は不気味なほどに静かだ。
ざわざわと木々が鳴いている。
心なしか空も黒い。
ぞくり、
背筋が寒い。

「…しきる」
「あ、え、」
「あまり、思い込むなよ」

からぁん、
下駄の音が止まる。
空が黒い。空気が重い。
まるで世界に置き去りにされたかのような錯覚が生まれた。
『思い込むな』。

「俺がおまえの学校でどう云われているかなんて知ってる。それを苦にしてくれていることも知ってる。だけど、俺は」

から、

「おまえがそれで心を砕くことのほうが辛い」

おまえはやさしい子だからな
そう微笑まれて
頭を撫でられる。

「・・・」
「あまり、気にするな。俺のところの神社はすこし変わってる。変わっているということは疎まれるものだよ」
「…じゃあ、俺も疎まれてる」

ふつうじゃない。
すこしだけ左目が見開かれて、そうしてからくちびるに手を当てた。
失言だった、と

「でも、芙美さん、おまえのこと好きなんじゃないのかな。一人にでも好かれていれば心は軽くなると思っているんだけど」
「…あいつは、…」
「付き合ってみたら?意外といい子みたいだし」

ぎし、
握り締めすぎた手
手のひらが、痛む。

「…まあ、俺が言うことじゃないか」

白い髪が重い風にゆれた。

「・・・」
「俺なら、大丈夫だからさ」

ついていないだろ、と三日前の白い巨大何かを指しているのだろう、後ろを指差す。

「…松、」
「――俺はね」


ざッ、
風の聲のせいでそれは聞こえなかったけど、
月白の髪の毛が風に乱暴に撫でられた姿を見て、とてもかなしいことなのだと知った。