しみるきずあと



芙美という女性徒がいる。

真澄高校という、産須那町にある高校は、産須那高校よりもずっと新しい。
ほんの10年前に出来た私立の真澄高校は、新しい外見も相成って隣街からも生徒が流れてくる場合も多い。
そこに通学するものはみな、私立に通うに相応しい、旧家や地主の子供が多く、
だからか真澄と言えばプライドが高い生徒が通っていると揶揄されている。

「しきる」

長い黒髪をきちりと結い上げ、色白のすらりとした女性徒が、芙美という生徒で
その姿に似合う、風紀委員の副委員長をしている。
きりりとした鋭い目が、しきるを射抜いた。

「…なんだよ」
「あなたのお友達のことよ」
「…友達?誰」

紺のブレザーを着た芙美は、眉を吊り上げて腰に手を当て、漫画のような台詞でなだらかに言い放つ。

「産須那神社の二番目の息子さんとまだ付き合ってるの?」

まるで「呆れた」と云わんばかりに頸を振った。
しきるの眉が顰められ、「それがどうした」と携帯に目を落とす。

「いい?あんな髪を染めた人と付き合うと、真澄の名が傷つくのよ。前にも云ったでしょ」

またそのことか。
芙美とは中学のときからの付き合いだが、毎日のように言われてきたからだろう、
最初のころは憤慨していたが、今ではいちいち相手をしていられない。

「いいだろ。別に。おまえには関係ないし、真澄の名が傷つこうが何しようが別にかまわねぇ」
「な…っ!あなた、何を云っているのか分かってるの!?プライドっていうものがないのかしら、あなたには!」
「…そんなくだらねぇプライドなんかいらない」

次の授業まで後まだ5分ほどある。
席に着いて、携帯を弄り始めてもまだ、芙美は何かを云っているが
聞き流そうと松太郎にメールを送る事にした。

「…ぁ」

メールが一件、

「珍しい」

殆ど携帯など使わない松太郎が
スライドさせて現れた書面は、単純なもので夕飯を食べに来い、とただそれだけだ。

「…夕飯かあ」

あの学校をサボった日から丸三日、メールも電話もしていない。
おかしなことを言ってしまったからだろう。
ほんとうに馬鹿な事を云ってしまった。

――近い、遠いなどと
そんな物差で計る事は今までなかったのに
ただただ、在るがまま
成るがまま

きっかけなど、

「ちょっと、聞いているの!」
「うるさい」

耳を指で塞いでメールの本文を見下ろす。
簡潔な一行のメールでも、松太郎にしてみれば片目でメールを打つということは労力がいるのかもしれない。
だからこそ、口元がゆるまった。
電話をしたいところだけど、そろそろ授業が始まる。
了解、と
その二文字を確かめてから送信した。


放課後の鐘が仰仰しく鳴る。
職員室に呼び出されるのもいつもの事
みな洗脳されたかのように真澄にプライドを持っている。
しきる自身とて、別に真澄などに行きたくはなかった。
だが母が真澄に知り合いがいるから、そこにしなさいと
勝手に決めてしまったのだ。

「…あーはいはい。分かりました。以後気をつけますー」

教師の言葉など頭に入らぬ
確か松太郎の事と、授業中に携帯を弄っていたことの注意を告げられているのだろうけど
別にどうでもいい。

「…あのな、君の事を考えて云っているんだぞ。たとえ産須那神社の息子さんだろうと、二番目の息子さんだろう?継ぐわけもない、それにあの産須那神社とこの真澄高校は違うんだ。ここは誇り高い――」

いい加減うんざりしてくる。
この長い髪のことは云われたことはない。
それは照子から圧力が掛かっているからで、照子自身の「発狂」は学校側にも暗黙の了解になっているのだから、言われないのは当たり前だ。
小桜の一族は、昔から雨乞師の一族だった。
雨乞は巫女がするものだ。
神が憑いている。カミツキの一族だと、故に男が育たぬのだ。
故に、田や畑が多い産須那ではひどく重要な立ち位置にいるのだが
しきるにとってはやはりどうでもいいことだった。
産須那の町自体が狂ってる。
眉を顰めて、心中で吐き捨てた。


「・・・」

頭が痛い。
こんな事でヨリマシにされたくなどない。
産須那は産須那と銘打っているだけあって、人ではないものがうようよしている。
否、元人間だったものも含めて
哀しい悲鳴や、怒りの悲鳴、そして狂笑、悔いに溢れた泣声
頭がおかしくなりそうなほどの
沢山の聲

「…しんど…」

背中に何かが負ぶさっているように重い。
ようやく解放されたのは、鐘が鳴って30分たった後だった。
特に夏が近づけば多くなる。

「――しきる!」

うんざりする高い声。
芙美だった。
地面を蹴る事を止めずに、通学鞄を握り締めて態と遠回りをしようと道を変える。

「ちょっと、しきる!」

スカートを翻してこちらに向かってくる姿を容易に想像できた。

「うるせぇなあ…」

このままだと神社まで着いて来そうだから、立ち止まって勢いよく振り向く。

「何だよ」

結い上げた髪が僅かに乱れている。
随分走ってきたらしい。
はあはあと呼吸を荒げていた。

「先生に声を荒げたってほんとうなの!?」
「…別におまえには関係ないだろ」
「いっつもそればっかり!わたしはあなたの為を思って…」

煩い。煩い煩い煩い煩い。
いつもいつもいつも
それだけだ。母さんも、小桜の家の連中も、
みんなみんな

「しきる!!」

背に重いものがのしかかっていたものが、すっと消えた。