悲しくないよ



「松!」

傘をもたげた手を上げる。
白髪と、白い小忌衣
この町では珍しい。
たぶん、松太郎だけだろう。
他は黒か茶色、それか明るい茶色くらいだ。
金髪だとか、奇抜な色をしている髪を持っている人間はこの町にはいない。
町の隣の街なら金髪なんて珍しくないだろうけど
産須那町の産須那神社
この町には神社がひとつしかない。それが松太郎の実家である産須那神社で
だから、初詣はかなりの人が集まる。
後半年以上先だけど
巫女をしてくれる高校生の募集も、もう締め切られていると松太郎が笑っていた。
それでもにぎわうのは初詣くらいで
シン、としているのはいつもの事だ。
別に静かなところが嫌いだとか、静かなところが好きだとか、そういうものはないけどさみしい場所だとは思う。

「しきる、…どうした。こんな時間に」

片方の眼が、こちらを見据える。
しきる自身、別段用という用はない。
ただ、ここにきたら松太郎に会えるだろうとそう考えただけだ。
だが、産須那神社に用があると云って出てきたのは事実
実家に帰ればわずらわしい人間がたくさんいる。
ここに行くと云えば、母である照子は「それはいいことね」と笑う。
だからと言って別に母の喜ぶ顔を見たいというわけでもない。
松太郎を言い訳にしてしまったことに気付いて、僅か気分が沈む。

「別に、用事なんてない。松に会えると思って来ただけ」
「ふうん」
「まだすこし雨降ってるから神殿に入ろう」

白い、頬までのすこしだけ長い髪がゆれた。
呆れたのだと分かる。

「あのな、神殿は雨宿りするところじゃないんだよ」
「知ってるよ。おれ、おまえには悪いけど喜代治さん苦手なんだ。家にいるんだろ」

左の眼がおかしそうに細められて
呼吸だけで笑う。
松太郎は、父親である喜代治に煙たがられているということを知っている。
喜代治は所謂「見鬼」ではない。
人ではないものが見えぬのだ。
だから、「外」から見鬼の女性を娶った。
それが松太郎の母親で
彼女の名は薫子と言い、3年前事故で亡くなっている。
未だ中学生だった松太郎を庇っての事故死だと云う事もあいまってか、余計に喜代治は松太郎を煙たがっているのだ。
だがそれは本当に事故死だったのか、それは分からぬ。
松太郎は向こうは車だったかもしれないし、車に似たようなものだったのかもしれないという供述をしていたため、警察の方でも決めあぐねているようだった。
車のタイヤの跡も無かったし、それでも巨大な何かがぶつかったという事実は、見えぬ人間にとっては車としか思えなかったのだろう。

「しきる、今父さんいないから俺の部屋に行こう」

ここは神聖な場所だけど、「神社」なのだ。
あまり長いこと同じ場所に留まり続けるのはよしたほうがいいのかもしれない。
白髪が、ゆらりとゆれる。
まるで、蜃気楼のようだった。


何をするというわけでもない
一畳間の部屋は、広さだけは在るが、物があまりない。
広すぎて何を置けばいいのか分からないのだという。
ただ部屋の四隅に護符が貼っている事を覗けば、普通の一畳間だ。
だがとても高校生が暮らしているという部屋ではないが
それでもしきるの部屋とて似たようなものだ。
不自然というわけではない。

「そういえば松、学校は?」

今は確か学校に行っていても良い時間帯だけど
足の低い机の上に本を乗せながら、こちらを左目で睨む。

「しきる、おまえサボったんだろ。人の事を聞く前に自分の事を直せ」
「うぇー」
「うぇー、じゃない。困るのはおまえだ。高校で留年はやめておいたほうがいいぞ」

正論だから、何も言い返せない。

「…俺はいいんだよ。病院だったから」
「病院?どっか悪いの」
「別に。検査だけ」

机の上に眼鏡ケースを置く松太郎は、すこしだけ辛そうだった。
眼鏡。
確か松太郎は眼鏡なんかしていない。

「眼鏡?」
「…視力、下がってきたんだ」
「・・・」

片目を失明すると、もう片目も視力が落ちてくるのは当たり前のこと。
それでも、目の当たりにするとしきる自身も辛く感じる。
右目を失う前からずっと一緒だったのだ。
辛くないわけが無い。
机に突っ伏して、目を閉じる。
松太郎が辛いなら、しきる自身も辛いと思いたいのだと
どこか深くで思惟した。

おなじなどと、そんな事できるはずが無いというのに。

どこまでも人は人、自分は自分なのだ。