げんだいの、うたかたの、うきよの、げんせいの せめてそばにいると ちかった ひ の



猫田松太郎の場合

たしかに
たしかにと
紺青
明け方の空
境内の奥

緑色
鮮やかな
立ちすくんで、空を見上げる。
半分の視界
15の時に母と共に失くした右目
もう、戻る事はない過去を求めたとて虚しいだけだと知っている。
知っているはずだ。
俺は、
誰もうらむことはしない。誰もにくむこともしない。
人の為に心を砕くことは、つらいことだ。
ひとは死んだら神になる。
そう、母と父、そして兄から教えてもらった。
神道の教えでは、そうなのだろうが
神になった後、人はどうするのだろうか。
神になれば、救われるのだろうか。
だが、救ってほしいなどと思っていない。
人間の一部は、救われたいと願っているはずだ。
まるでキリスト教のようではないか。
信じるものは救われるなどと

ぎい

木が軋む。
御神木の巨大な木が
周りに影を生ませているそれは、いつからあるのか分からぬ
遠い遠い昔
まるで鼓動が感じられるような
木霊

魅入られる。

神木として祀られている分はいいが
この先のことなど分からないもの
いつか、この神社も朽ち果てよう
俺には分かる。
見える。
木が枯れ、なにもかもがなくなる世界が
俺も、父も兄も
そして、あいつも
いなくなる。
それでもあいつは俺と違って強いから
魅入られる事もないのかもしれない。
神に魅入られれば、逆らえぬ
逆らおうとするのは罪だ。

半分の視界の
その上



小桜しきるの場合



五月雨ももう終わり
そろそろ空も見えるだろう
傘を持って歩く。
決して行きたくないわけではない。
きっとまた、あの杜でぼんやりとしている事だろう。
せめて見えぬように、あの杜のなかに
通り過ぎるものは、人間ばかりではない。
人ではないものが、ふと通り過ぎる事もある。
もう慣れたが、気分がよくなるわけでもない。
人間が在るのだから、人間ではないものも在るはずだと
あの人は云っていた。
そういう家系なのだ、
致し方あるまい
今更血を恨んだとて
見えなくなるというわけでもないのだから
ぱしゃん
水溜りに足を踏み入れる。
そういうものと同じだ。
在るべくして在る。
ただそれだけのこと
甚くシンプルで、単純な事

母は狂っている。
俺を女だと信じ込んでいる。
世界から僅かだけはぐれたもの
小桜の家は男が育たぬ
男が育たぬ小桜の家は、それゆえ強い男を迎えねばならない。
それでも父は死んだ。
そうして、妹も死んだ。事故だった。
小桜照子は、妹をひどくあいしていた。
俺は、諦められた子供だった。
いつか死ぬだろうと
捨て駒の存在だった。
それでも生きてしまっている。
妹の代わりに
その苦しみは、たぶんあの人以外にはわからないだろう。
あの人は同じだ。
俺と同じ
同属嫌悪など関係ない、同じ痛みを持つもの同士の傷の舐めあいだと罵られても辛くなど無い。

猩々緋の剥げかけた鳥居を潜って、境内を通り越して
未だ滴の垂れる木々をもぐって
小忌衣を着たあの人の姿を探す。
白なのだから、目立つだろう。
髪の色も白だから、余計に

ぼんやりとした姿で
御神木を見上げている
その人の名を呼ぶ。



――しきる、おまえはいつか、
いつか、――様のところにお嫁に行くんだよ
おおきくなって、きれいになったら



小桜の息子、いや、娘、か。
小桜の家が後ろ盾になれば、栄えるだろう。
照子様のお加減がよくなるまで、つきあってやれ。
この、とんだ茶番に。